校区のじまん

 ◆竹田城址(国史跡)(日本の名城100選)
 ◆藤和の大将軍杉(兵庫県郷土記念物)
 ◆寺町通り
 ◆法樹(ほうじゅ)寺
 ◆勝賢(しょうけん)寺
 ◆常光(じょうこう)寺
 ◆善証(ぜんしょう)寺
 ◆表米(ひょうまい)神社
 ◆虎臥城(こがじょう)(とらふすじょう)公園
 ◆竹田の町並み
 ◆JR竹田駅
 ◆県立北部農業技術センター
 ◆竹田家具(兵庫県特産物)
 ◆立雲峡
 ◆山城の郷
 ◆虎臥城大橋
 ◆和田山工業団地
 ◆大路ダム
 ◆元文一揆供養碑





竹田城跡(たけだじょうせき)
 城の築かれている山全体が虎が臥せているように見えることから、別名、虎臥(とらふす)(こが)城と呼ばれ、嘉吉年間(1441〜1444年)に但馬守護の山名宗全が丹波、播磨からの侵入に備えて、出石城の出城として基礎を築いた南北400m、東西100mの日本一の山城の址です。太田垣氏が5代にわたって城主となりましたが、織田信長の命による秀吉の但馬征伐で1580年(天正8年)に落城しました。現在のような豪壮な石垣積みの城郭を築いたのは最後の城主、赤松広秀です。天正〜慶長(初期)年間の完成と言われています。石垣は、安土城や姫路城と同じく、近江穴太(あのう)衆の手による穴太流石積み技法を用いた「野面(のづら)積み」です。古城山山頂、標高353.7mの天守台を中央に、本丸以下、南には南二の丸、南千畳、北には二の丸、三の丸、北千畳、さらに北西部には花屋敷と称する一郭があります。縄張り(平面構成)の美しさが自慢で、地形を巧みに活用し、防御への配慮も綿密であることから、よほど堪能な人の手による構築と考えられます。秋から春にかけての早朝は美しい雲海が見られ、カメラの愛好家たちが集まります。竹田小学校の校地内(校舎南側)には、竹田城址を25分の2に縮小した城跡の庭があり、こどもたちの誇りであるとともに、楽しい遊び場になっています。竹田城址は1990年、角川映画「天と地と」のロケ地となったことで有名です。上杉謙信の居城、春日山城が再現され、地元の人たちもエキストラとして多く出演しました。その後、映画「あなたへ」のロケ地ともなり、当時の6年生も出演しました。その後、『天空の城』として全国的に有名になり、多くの観光客が訪れる観光地ともなっています。

藤和の大将軍杉(兵庫県郷土記念物)
 竹田小学校藤和分校に向かう途中、大将軍塚のそばに大将軍杉があります。この道は藤和峠に続き、峠を下りたら養父市になります。1本の杉の幹は12本に分かれ、大木の腐敗を防ぐため、幹に薬を塗り、扉で覆い、錠がかけられています。根周り11.6m高さ35m。1353年(文和2年)丹波国佐治山垣城主の足立遠政の長子、足立藤和(とうわ)がここに隠れ住んでいたことがあり、自分より先に仮住まいをしていた藤原正司(まさつかさ)がいたことを知りました。藤和は正司が自分の遠い祖先と同じ姓であることを因縁に感じ、正司の墓を「大将軍」と呼び杉の木を植えて神木と崇めました。その杉が生長して今の大将軍杉になったそうです。正司が創建したと伝えられる産霊(うぶすな)神社や藤原家の墳墓があり、年に2回、12個の団子をお墓に供える慣しがあります。12個のお団子は1年の月の数に由来しているそうです。藤和地区には現在も藤原姓が多く残っています。
 藤和分校は就学児童がいないため、平成18年から休校しています。校舎も新しく、自然に囲まれたよい環境で勉強できる分校です。地域の方々も竹田小学校のこどもたちも、分校の再開を心から待っています。
 大将軍杉までに湧き水「夏谷の名水」を自由に汲める所があり、コーヒーにするとおいしいと評判です。和田山中学校に通学する生徒たちは、「大将軍杉」と「夏谷の名水」の間の「峠地蔵」の所までスクールバスが来るので、それを利用しています。「峠地蔵」からは竹田城址が目の前に見えます。
但馬の情報誌ティーツー 
2007年4月 Vol.62
大将軍杉 藤和分校 夏谷の名水 峠地蔵

寺町通り
北から法樹寺・勝賢寺・常光寺・善証寺・表米神社と5つの寺社が立ち並ぶ石畳の通りです。歴史散策コースにもなっています。竹田城址への登山口もあります。通りに沿って流れる竹田川には石造りの橋が架かり、鯉などが放流されて、松の並木も美しく、城下町の風情があふれています。4つのお寺に架かる石橋は全て江戸時代に造られたものです。但馬に現存する江戸時代の石橋7つのうち5つが竹田地区に集中しており、そのうちの4つをこの寺町通りで見ることができます。通り向かいの虎臥城町公園も石造りで、観光客の人気スポットとなっています。一年を通じて訪れる人が後を断ちませんが、やはり6月の花菖蒲祭りの時期に一番人気があるようです。

法樹(ほうじゅ)寺
 竹田城最後の城主、赤松広秀の菩提寺。境内の裏手に墓碑が祀られています。

勝賢(しょうけん)寺
赤松広秀の前の城主、桑山修理太夫重晴ゆかりの寺。重晴の嫡子夫妻の墓碑と言われている五輪の双塔があります。

常光(じょうこう)寺
 竹田城初代城主、太田垣光景の菩提寺。山名宗全の四天王のひとりであった光景公の墓碑とされる石碑があります。常光寺の石橋には1707年(宝永4年)の文字が刻まれており、但馬では最古の石橋です。

善証(ぜんしょう)寺
 瓦の載った築地塀が美しい善証寺は、14世紀の創建。現在地へ移されたのは寛永年間(1624〜43年)と伝えられています。

表米(ひょうまい)神社
 格技を好んだ表米宿弥命が祀られています。参道横の広場に相撲桟敷が設けられています。半円形に6段の石積み半円形石積段型桟敷は山口県長門市の楽桟敷を除いて、全国的にも例がなく、兵庫県文化財に指定されています。正面には舞台もあり、歌舞伎の見物などに使われたようです。毎年10月の竹田秋祭りではこども力士の元気な相撲が奉納されます。明治20年頃には各地から力士が集まってきたそうです。本殿には干支の彫刻が施されており、四方にそれぞれ3つずつ配置された干支が東西南北を護っています。

虎臥城(こがじょう)(とらふすじょう)公園
 別名、寺町公園(殿町公園)とも呼ばれ、寺町通りで一息つくのに最適の公園です。中央に竹田城址をかたどった池があり、あずまや風の休憩所やトイレがあります。花菖蒲もたくさん植えられています。秋祭りには出店で賑わいます。

竹田の町並み
 竹田地区には伝統的な家屋が並び、特徴である茶系の土塀や茶色味がかった加都石の石積みが落ち着いた雰囲気を作っています。城下町として発展してきた歴史を映して、現在もクランク状の道路が残っています。切妻造り、中2階建て平入り、虫かご窓で1階は格子といった民家が多く、軒先がそろった町並みには、まとまりと落ち着き、そしてリズム感があります。大正年間までは、旅館、料理屋、茶店、漆器や家具を扱う店、酒屋などが軒を並べていましたが、今では、うだつがあげられた家や伝統的な商家が面影を残すのみとなってしまいました。明治時代の旧医院を改修した「あったかプラザ」にも趣があり、障害者授産施設などで手作りされた品物を展示販売されている他、軽食、喫茶も楽しむことができます。
 近年観光地として有名になり、明治初期の造り酒屋を改修して、情報館「天空の城」や宿泊施設、レストラン、カフェ等を備えた施設もオープンしました。

JR竹田駅
 JR山陽本線(姫路駅)とJR山陰本線(和田山駅)を結ぶローカル線、JR播但線の終点和田山駅の一つ手前の駅が竹田駅です。和田山行き(下り)ホームの待合室は開通当初から残る歴史遺産です。柱には明治39年4月竣工のプレートがあります。ホームの柱には昭和15年4月竣工のプレートがあり、訪れた人に郷愁を感じさせる、昔ながらの鉄道の姿を今に留めています。屋根瓦や白壁は新しくなっていますが、切妻の正面に差しかけ屋根を取り付け、手前に張り出させた構造は、木造駅舎のスケール感を大きく助長しています。国指定史跡の竹田城趾を背後に望み、別名「虎臥山」と呼ばれる山の名称の由来は、この駅前から見ると、虎が臥す姿に似ているためです。
 


 播但線は、播但鉄道と、後に同社を買収した山陽鉄道により敷かれました。竹田駅は明治39年4月1日、山陽鉄道によって開設されました。竹田駅は竹田小学校を卒業したこどもたちが中学校、高等学校への通学に毎日利用する大事な駅です。祭りやイベントには駅舎ギャラリーで展示などが行われます。

 停車本数は、1日15往復。姫路駅から普通電車で約1時間半(JR山陽本線に接続)。和田山駅から普通電車で約7分(JR山陰本線に接続)。


 鉄道駅舎シリーズ「木造駅舎の旅」米屋浩二著 (株)INFASパブリケーションズ発行にも竹田駅は紹介されています。

県立北部農業技術センター
 但馬の自然や立地条件を生かした特産品作りを目指し、平成5年に設置されました。県営施設としては日本で最大規模を誇る74haの広大な敷地で、名牛として全国に知られる但馬牛の系統作りや飼養技術の開発、各種農産物の品種改良やブランド作物の開発、新加工食品の開発などが行われています。竹田小学校の4年生は毎年、梨作り体験をさせてもらっています。
広大な畑 センター本館

竹田家具(兵庫県特産物)
 竹田城最後の城主、赤松広秀公が漆器作りを奨励し、神子畑に住んでいた木地師を呼びました。その漆器作りの技術が時代とともに家具作りへと発展しました。年季を積んだ職人の技術と情熱で作られ、品質の良さ、美しさと丈夫さで親しまれている竹田家具には、木を愛した古の木地師たちの心が今も受け継がれています。竹田小学校には、昭和54年に寄贈された地元の職人さんによる大きな衝立が玄関にある他、戸棚・演台・花台など、たくさんの家具類が校内に置かれています。また、竹田小学校のこどもたちも現役の家具職人さんと交流をもち、木工教室に参加して、立派な作品を完成させています。

立雲峡(りつうんきょう)
 海抜756mの朝来山中腹にあり、無数の奇岩・巨岩が点在する中、樹齢300年以上の老桜が群生しています。山桜・ソメイヨシノなど種類が多く、開花時期が長いのが特長で目の前に竹田城址、眼下に円山川に沿って広がる静かな町並みを眺めることができます。但馬吉野と呼ばれる桜の名所ですが、こぶし、石楠花、つつじや新緑、紅葉、椿の季節も美しく、雪景色も魅力的で、四季を通して楽しむことができます。さらに歩けば「おおなる池」や「竜神の滝」など見どころいっぱいです。竹田小学校の子どもたちは、毎年『山桜再生プロジェクト』として、「立雲峡の山桜を守る会」のみなさんにお世話になって、立雲峡に山桜の苗木を植えています。
     
     
     

山城の郷
 竹田城址のふもとの都市・農村交流施設です。レストランや特産品販売コーナー、農畜産物加工施設、会議室などがあり、そば打ち・パン作り体験の他、グランウンドゴルフ場や散策路、遊具、展望台なども整備されています。

北近畿豊岡自動車道
 平成18年に北近畿豊岡自動車道が和田山まで開通しました。和田山インターチェンジは竹田小学校区にあります。播但連絡道路にも通じており、便利な交通の要所となりました。

虎臥城大橋
 藤和方面に行く途中、大きな橋が南北に縦断しています。通称「めがね橋」「ボコボコ橋」と呼ばれて親しまれています。橋上は播但連絡道で、白い橋が視界を横断する姿は壮観です。

和田山工業団地
たくさんの工場が集まる団地です。竹田小学校のこどもたちは毎年、工場見学に訪れます。こどもたちの家庭には、ここに勤めるおとなも多く、また、学校に図書を寄贈くださる企業もあり、地域の貴重な財産になっています。軽量の携帯電話用電池ケースと電池端子を開発し、その生産量は世界一という会社の本社もここにあり、24時間操業の工場もたくさんあります。外国からの安価な製品に対抗するため高品質と独自性にこだわっています。品質維持に不加欠なものは、熟練した人の目と経験だそうです。電池部品分野は常に「より強く、より薄く、より軽く」が求められており、携帯電話や自動車分野での需要が高まっています。

大路ダム
 

元文一揆供養碑
元文3年(1738年)12月29日、代官の厳しい年貢の取り立てに不満を爆発させた農民(約3000人)が竹田川原に集結し、生野代官所に押しかけ強訴しました。結果、死罪6人、流罪8人を含む23人が処罰されました。死罪となった6人のうち5人の首は竹田川原にさらされました。後に供養のため、円山川にかかる加都橋の両岸に供養碑が建立されました。今でもお地蔵さまと並び、地域の信仰を集め、竹田の人たちの心意気を現わす貴重な遺産です。